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幕末

5回にわたって「寺田屋考」を綴ってきました。その成果を総括しておきたいと思います。 京都伏見の寺田屋は幕末におこった二つの出来事によって有名です。ひとつは文久2年4月におこった急進薩摩藩士が主命によっ... (つづきを読む)

幕末

はじめに 寺田屋が明治39年に再開してからの展開を中村氏は詳細に追っている((「寺田屋の虚実」『京都の江戸時代をあるく』2008年 文理閣))。 京都法務局伏見出張所に保管されている旧土地台帳(以下台... (つづきを読む)

幕末

寺田屋は船宿でした。船宿とはどんな様子で営業していたのでしょうか。 以下、参考文献をもとに寺田屋の情報も付け加えてお伝えしたいと思います。以下の文献を参考にしました。 <参考文献> 宗正五十緒「伏見船... (つづきを読む)

幕末

5 現在の建物をどう考えるべきか いよいよ、現在の建物そのものの変遷を時代順に考えてみます。 (1)慶応4年戊辰戦争直後の寺田屋建物 「歴史資料館報告」では、寺田屋の主要部分が焼損したことは確かですが... (つづきを読む)

幕末

3 現在の寺田屋敷地の来歴を考える 2007年に中村武生氏が現寺田屋についての考察を『京都民報』紙に「寺田屋伝説の虚実」として連載((現在は、中村武生『京都の江戸時代をあるく』(2008年 文理閣)... (つづきを読む)

幕末

はじめに 慶応2年1月23日の深夜から翌日未明に、京での薩長会談に陪席後、伏見寺田屋に一人帰り、三吉慎蔵と合流した坂本龍馬は伏見奉行所の捕り方に包囲されました。 部屋に踏み込まれた龍馬はピストル... (つづきを読む)

幕末

2020年6月8日付けの京都新聞で「新選組『西九条村に屯所』論争決着?」という見出しで記事が掲載されました。個人的には論争は決着したと思っていましたが、一部専門家の方から、まだ確かめなければならな... (つづきを読む)

幕末

嵯峨根良吉とは 嵯峨根良吉は宮津藩領内の村医の子として生まれ、藩命で緒方洪庵の適塾に学び、その後長崎で英学を学び、慶応2年の5月には鹿児島の薩摩藩洋学所である開成所の教師として雇われ、翌年には正式に... (つづきを読む)

幕末

「御花畑」屋敷とは幕末に薩摩藩が近衞家から借り受け、家老小松帯刀の寓居として使われ、薩長同盟締結の舞台になった屋敷として注目され、2016年5月、京都で行政文書が、鹿児島で絵図が発見され、その具体... (つづきを読む)

幕末, 未分類

当ブログで報告した「新選組『不動堂村』屯所の規模と位置の確定」が地元京都新聞で記事化されました。なんと一面トップ、三面に補足記事という扱いでした。 かなりの分量を割いていただいていますが、伝わらない部... (つづきを読む)