薩長同盟に関わる重大な史料が2017年に明らかになりました。京都の鳥取藩邸から国元への情勢報告のまとめ「京坂書通写」慶応2年丙寅正月分です。この新史料にいち早く言及したのが桐野作人氏で2018年3月刊行の『龍馬暗殺』(吉川弘文館)の中で、近年の薩長同盟論の見直しを迫る史料とされています。また、町田明広氏は近著『新説 坂本龍馬』(集英社インターナショナル 2019年10月)で4頁あまりを割いて見解を述べられました。
先般申上候薩人云々之次第全躰土州
脱藩ニ而当時薩え入り込長州え之
往来致し居申坂本龍馬と申者去月
廿四日当地出立伏見寺田屋と申旅
籠屋え一泊致し候処を被召捕掛候得共
漸々切抜ケ出同処薩邸え逃ケ込居
申趣尤荷物等は其侭右宿え有之ニ
付取調候処格別之品ハ無之候得とも
只今迄長人え掛合等之書面段々有
之此度寛大之御処置ニ相成り候共決
而御請は致間敷却而歎願ニ托し多
人数上京致候得は其節は急度相
応し会を追退事之周旋は可致と長人
え之返書等も所持致し居申趣既ニ其
節召連居候家来は長人之徒ニ御座候
【下関市立歴史博物館】2017年特別展図録「龍馬が見た下関」より
【筆者の現代語訳 試案】
先頃申し上げていた薩人といっていたのはもとより土佐脱藩にて、現在、薩摩へ入り込み長州へも往来している坂本龍馬と申す者です。
先月24日当地(京)を出立して伏見寺田屋と申す旅籠屋に一泊しているところを召し捕られかけたのですが、ようよう切り抜けて伏見の薩摩藩邸に逃げ込んだ様子です。
もっとも荷物などはそのまま右宿所にあったので取り調べたところ格別な品はなかったのですが、今まで行っていた長州人との交渉経過の書面がありました。
この度は寛大な御処置になっても(長州は)決して御請することはありえず、却って歎願にかこつけて多人数が上京したら、その時は(薩摩は)きっと相呼応して会津を追っ払う事のためにできることはすべて行うという長州藩への返書なども所持していた様子なのです。
すでにその時召し連れていた家来は長州人でありました。
当地とは京都
この報告は鳥取藩邸から国元への報告文書を整理し、書き写したものです。慶応2年1月におこったできごとの報告文を整理し写したもので、この報告文自体は2月7日付けです1)。
なので「去月二四日当地出立」の文言の去月二四日は1月24日となります。この報告は鳥取藩京都藩邸から送られたものでしょうから、当地は京都にほかなりません。つまり、龍馬が24日に京から伏見へ出立したとしています。しかし、実際は23日なので誤りですが、寺田屋での事件は23日深夜であり、龍馬が伏見薩摩藩邸に匿われたのは翌24日のことです。この報告文全体は伝聞情報をもとにしているので、24日と誤ったと思われます。ところが先の著書で町田氏はこれを「先月二四日に長州を出発し」と訳されていますが、なぜこのように訳されたのはわかりません。前年12月中は龍馬はまだ長州に滞在中ですし、1月24日は伏見での事件の当日です。さらに京都にいる鳥取藩士が長州を「当地」と書く理由は全くありません。
坂本龍馬は土佐浪士と判明したことを報告している
冒頭に、これまでの報告では単に「薩人」と報告していたが、身元が判明し、土佐脱藩浪士坂本龍馬であると伝えています。龍馬が薩摩へ深く取り入り、薩長間を往来していることも報告しています。この一文から、この報告を書いた人物は、いままで姓名不明のあやしい薩摩藩士と思っていたが、「土佐脱藩浪士」坂本龍馬であることがわかったことを報告しているのです。なので、決して龍馬を薩摩藩士とは認識していません。
「格別之品ハ無之」から押収文書内容も格別でないことにはならない。むしろ逆。
書面のもっとも重要な内容、「薩長同盟」六箇条のうちの第5条にあたる条文をわざわざ報告しているので、逆に、この条文を極めて重要なものと認識していたことは間違いないと思われます。「格別之品ハ無之」の文言はこの書面も格別なものではないといっているわけではありません。書面は品物としてありふれたものですが、内容としては特筆すべきものだったと考えたのでその内容を報じていると考えます。
「追退」「周旋」は軍事的な対決を含む語
「会を追退事之周旋」についてですが、「追退」は軍事力でもって追っ払うことを意味するいいまわしとして使われていたことは用例から明らかです。
例えば、九条関白家が元治元年から6月から慶応2年7月にいたる、国事文書の写しをあつめた「国事書類写」に収録されている禁門の変後に一橋慶喜が諸藩主あてに出した感状すべてに「賊兵を追退」との表現があります2)。
また、永倉新八『浪士文久報告記事』の慶応4年1月の伏見での戦いの記述に「敵御香宮迄追退ケ終ニ敵桃山江退ク桃山モ追退ケ」ともあります3)。
すなわち「追退」は六箇条にある「決戦」と意味はそれほど変わりません。このような表現が使われている以上、それに続く「周旋」とは事をなすために可能なことを必ず行うという意味で理解できます。会津との軍事対決、それにともなう朝廷、諸藩への工作、もちろん長州藩主の名誉回復工作などがまとめて「周旋」の内容でしょう。薩長が会津と軍事対決寸前になったときに朝廷や諸藩が会津支持、あるいは中立に回っても事は成就しません。町田氏は「決戦」が「周旋」に格下げされたと解釈されていますが、そうではなく「決戦」に対応する語は「追退」とみるべきです。
龍馬が連れていたのは長州人と書いて報告を結んだ理由
この報告文は全体として龍馬の活動により薩長の同盟がなったらしいことを伝聞事実をもって報告しています。この重大事の信憑性を裏付けることとして、龍馬がつれていた家来が長州人であったという確実な事実を最後に添えているのでしょう。
まとめ
この史料の解釈からだけでも龍馬=薩摩藩士説、本人はいうに及ばず他藩のものも、そのようなことは全く思っていなかったことがわかりますし、押収書面は特筆すべきものであり、薩長の連携がこの時点で広く知れ渡ったことを意味します。それについては土佐浪士坂本龍馬の特筆すべき役割があったと、少なくとも報告者である鳥取藩士は感じていると読み取るのが妥当な読み方であると考えます。
今後、すでに発表済みの拙稿「慶応期西郷隆盛寓居の検討から『薩長同盟論』にいたる」(『霊山歴史館紀要』24号 2019)の内容を再検討しながら、この場での報告を継続していきたいと思います。
※史料の行が乱丁していました。また、現代語訳分に( )でわかりやすく注記をつけました。2019/12/6
註
コメント
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