寺田屋

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続・寺田屋考(3)日露開戦と皇后の瑞夢と寺田屋

皇后の瑞夢寺田屋再興の直接のきっかけは日露開戦前夜に美子皇后が葉山御用邸で、2日連続でみた夢です。白衣の男が坂本龍馬を名のり、我が海軍を守ることを告げにきたという夢です。昭憲皇太后実録を見ると、皇后は大変な海軍びいきで、新造艦への乗艦や進水...
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続・寺田屋考(1)大正2年の徳川慶喜の寺田屋訪問

「慶喜公維新の戦跡を弔ふ」大正 2(1913)年5月18日付の大阪毎日新聞徳川慶喜の寺田屋訪問現在(2022/4)、2階への階段を上がったところに「慶喜公維新の戦跡を弔ふ」という大正 2(1913)年5月18日付の大阪毎日新聞の記事のコピー...
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寺田屋考(番外)ー再建資料ー

おとせによる寺田屋再建時期を考える資料がありました。「仁礼景範航米日記」は1866年の第2次薩摩藩留学生のうち、アメリカに派遣された仁礼が長崎出発から西暦1868年10月28日に横浜に帰着し、その後京坂を経由して長崎から薩摩に出航するまでの...
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寺田屋考(6)ー総括ー

5回にわたって「寺田屋考」を綴ってきました。その成果を総括しておきたいと思います。京都伏見の寺田屋は幕末におこった二つの出来事によって有名です。ひとつは文久2年4月におこった急進薩摩藩士が主命によって討たれた事件、もうひとつは慶応2年1月、...
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寺田屋考(5)ー再興寺田屋の終焉ー

はじめに寺田屋が明治39年に再開してからの展開を中村氏は詳細に追っている((「寺田屋の虚実」『京都の江戸時代をあるく』2008年 文理閣))。京都法務局伏見出張所に保管されている旧土地台帳(以下台帳)、移記閉鎖簿冊(以下簿冊)が基本の資料で...
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寺田屋考(4)ー船宿「寺田屋」ー

寺田屋は船宿でした。船宿とはどんな様子で営業していたのでしょうか。以下、参考文献をもとに寺田屋の情報も付け加えてお伝えしたいと思います。以下の文献を参考にしました。<参考文献>宗正五十緒「伏見船宿」(「名所図絵と伏見」『伏見の歴史と文化』京...
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寺田屋考(3)ーおとせが建てたー

5 現在の建物をどう考えるべきかいよいよ、現在の建物そのものの変遷を時代順に考えてみます。(1)慶応4年戊辰戦争直後の寺田屋建物「歴史資料館報告」では、寺田屋の主要部分が焼損したことは確かですが、全焼であったか否かまでは明確ではなく、「焼け...
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寺田屋考(2)ー寺田屋の再開ー

3 現在の寺田屋敷地の来歴を考える2007年に中村武生氏が現寺田屋についての考察を『京都民報』紙に「寺田屋伝説の虚実」として連載((現在は、中村武生『京都の江戸時代をあるく』(2008年 文理閣)にまとめられている。))をしました。事件の舞...
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寺田屋考(1)ー龍馬脱出ルートー

はじめに慶応2年1月23日の深夜から翌日未明に、京での薩長会談に陪席後、伏見寺田屋に一人帰り、三吉慎蔵と合流した坂本龍馬は伏見奉行所の捕り方に包囲されました。部屋に踏み込まれた龍馬はピストルを発砲して捕り方二人を射殺、手に刀創を負うも命から...