幕末

寺田屋

続・寺田屋考(6)寺田屋の展示品2

寺田屋来訪者の書寺田屋には現在、先に紹介した樺山資紀のもの以外に、寺田屋を訪問した有力者の書が扁額として飾られています。「天楽多家 乙巳秋日為 寺田氏 正二位通禧書」(写真1)写真1 天楽多家 乙巳秋日為 寺田氏 正二位通禧書写真2 190...
寺田屋

続・寺田屋考(5)寺田屋の展示品1

樺山資紀の扁額現在、寺田屋内部には書画の展示物が多くありますが、その中に寺田屋を訪れた有力者が認めた書が扁額として複数掲げられています。そのうち樺山資紀のもの(写真1)を考えます。樺山資紀(1837/12/9~1922/2/8)は元薩摩藩士...
幕末

続・寺田屋考(4)建物そのものを観察

建物そのものを観察、考察する現時点で、様々な史料から現寺田屋建物は慶応4年9月に明治と改元されるまでには、もとの建物の西隣に船宿として再建されていたと考えられます。決して、明治後期に新築されたものではないと見ています。今回は建物そのものに、...
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続・寺田屋考(3)日露開戦と皇后の瑞夢と寺田屋

皇后の瑞夢寺田屋再興の直接のきっかけは日露開戦前夜に美子皇后が葉山御用邸で、2日連続でみた夢です。白衣の男が坂本龍馬を名のり、我が海軍を守ることを告げにきたという夢です。昭憲皇太后実録を見ると、皇后は大変な海軍びいきで、新造艦への乗艦や進水...
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続・寺田屋考(2)寺田伊助の義弟荒木英一

寺田屋関係を投稿したついでに、寺田伊助の義弟荒木英一のことについてわかったことを書いておきます。 寺田伊助の義弟荒木英一 2019年に日蓮正宗の源立寺から明治・大正期に日蓮正宗(最初は日蓮宗大石寺派)の活動家だった荒木清勇の略伝が出版されま...
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続・寺田屋考(1)大正2年の徳川慶喜の寺田屋訪問

「慶喜公維新の戦跡を弔ふ」大正 2(1913)年5月18日付の大阪毎日新聞徳川慶喜の寺田屋訪問現在(2022/4)、2階への階段を上がったところに「慶喜公維新の戦跡を弔ふ」という大正 2(1913)年5月18日付の大阪毎日新聞の記事のコピー...
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「御花畑」屋敷研究深化のために~まとめ~

2016年、薩長同盟締結の地ではないかと、京都と鹿児島でのあいつぐ資料発見によって報道、注目された「御花畑屋敷」。今も、その直後の原口泉氏のコラムはまだネットでみることができますその後、京都における資料発見者の原田良子さんを手伝って、「薩長...
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「御花畑」屋敷研究深化のために(3)

今回も引き続き、佐野静代氏の論文「近衛家別邸『御花畑』の成立とその政治史上の役割 : 禁裏御用水・桂宮家・尾張藩・薩摩藩との関わりについて」(『人文學』同志社大学 2020年)の疑問点について書いておきたいと思います。近衛忠房日記陽明文庫に...
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「御花畑」屋敷研究深化のために(2)

今回も同じ佐野氏論文について、「一次史料」の取り扱いについての疑問を考えます。 氏は尾張藩との「御花畑」の関係性を示す資料を多数提示され、特に近衛忠煕の母で尾張藩から嫁した維君の隠居所として天保年間に尾張藩の手によって改修されたことが明らか...
寺田屋

寺田屋考(番外)ー再建資料ー

おとせによる寺田屋再建時期を考える資料がありました。「仁礼景範航米日記」は1866年の第2次薩摩藩留学生のうち、アメリカに派遣された仁礼が長崎出発から西暦1868年10月28日に横浜に帰着し、その後京坂を経由して長崎から薩摩に出航するまでの...