「不動堂村」屯所付近の暗渠化前の堀川

暗渠化前の堀川(安寧自治連合会編『安寧の語り部』2005年より)

2005年に地元の自治連合会が発刊された『安寧の語り部』という100ページほどの本の中に安寧学区を南北に貫く暗渠化前の堀川の写真がありました。奥に興正寺の御影堂が写っています。また、その手前に橋がかかっているのが見えます。この橋こそ生酢(木津)屋橋で、別名月見橋とよばれていました。1786(天明 6)年刊行の『都名所図会』には左手護岸の生酢屋橋の手前に「芹根水」という清水が湧き出ていることが図入りで紹介されていて、堀川の護岸は石垣として描かれています。図会の本文によると此の付近に平安時代、源融の屋敷があったようです。写真は三哲通(塩小路通)の橋の上から北を向いて写したものでしょう。もっともこの橋は幕末当時はありません。この右手護岸の生酢屋橋の手前、中ほどに用水の取水口があったはずですが、なくなってしまっているのかよくわかりません。かつては水量豊富であったようです。屯所はこの撮影者の後ろ右手になります。

コメント