慶応元年乙丑十二月六日蒸気艦ヨリ鹿府前之躍を発、上京日記之事 十二月六日 一 四ツ過出宅、下濱在宿・暫時休足、送之人々多人数有之 爰ニて 重之物相披、別之一盃取かわし、無間も乗船、供之面々 役人之場、... (つづきを読む)
桂久武上京日記の分析
ー大久保の帰京と西郷の帰国ー
二月十六日 一 毎之通寝覚、此朝溝口吉左衛門洋学修行内願承候事、 一 此日四ッ時分勘兵衛同伴ニて、吉田社より真如堂・若王子社・永観 堂・黒谷南禅寺夫より祇園・清水・大仏・三十三間堂辺迄参候 吉田社ニて... (つづきを読む)
桂久武上京日記の分析
ー上杉宗次郎(近藤長次郎)自死の報ー
二月八日 一 毎之通寝覚、此日隨分天気も宜敷候間、勘兵衛同伴ニて御室より 高雄・槙尾・栂尾見物、帰り二御室飯茶屋江相休昼飯遣ひ、夫よ り帰り掛一条通ニて秀吉愛之樹五色之椿という有之見物す、尤天 川屋茂... (つづきを読む)
桂久武上京日記の分析
ー龍馬二本松移送の時期ー
※今回、黎明館HPからダウンロードできる、活字翻刻された村野守次『鹿児島県史料集 第26集 桂久武日記』中の「上京日記」を底本に利用して、全訳を試み、できたところから公開していた。それが終わった段階で... (つづきを読む)
桂久武上京日記の分析
ー龍馬遭難と小松原調練場買収ー
※今回、黎明館HPからダウンロードできる、活字翻刻された村野守次『鹿児島県史料集 第26集 桂久武日記』中の「上京日記」を底本に利用して、全訳を試み、できたところから公開していた。それが終わった段階で... (つづきを読む)
桂久武上京日記の分析
ー薩長同盟締結 運命の三日間ー
正月廿日 曇天 一 四ッ後出勤、此日御国元江大久保罷下侯て爰許之事情言上仕候ハ 可然哉二申談、甘一日出立申渡相成候事、 一 八ッ時分帰宅、昼飯相仕舞候て大久保江御国元江之言上之趣共い 細申含置候事、 ... (つづきを読む)
桂久武上京日記の分析
ー薩長同盟締結直前の薩摩藩邸事情ー
桂久武上京日記は、慶応二年の一月、木戸の上京から帰国までの間を含む前後の藩邸事情を家老桂久武が記した一次史料である。しかし、薩長同盟の内容やその決定過程についての具体的な記述は一切なく、薩長同盟決... (つづきを読む)
草津本陣を訪ねて
先日、社会科研究会で滋賀県の草津本陣を訪ねました。 草津本陣で面白かったのは、本陣の西側に川があり、それを西側の濠にして本陣が立地していたことです。川から引いた水路が本陣全体を取り囲んで... (つづきを読む)
「不動堂村」屯所付近の暗渠化前の堀川
2005年に地元の自治連合会が発刊された『安寧の語り部』という100ページほどの本の中に安寧学区を南北に貫く暗渠化前の堀川の写真がありました。奥に興正寺の御影堂が写っています。また、その手前に... (つづきを読む)
石碑考
当サイトですでに公開した新選組「不動堂村」屯所の位置と慶応期の西郷隆盛寓居の考証する過程で、石碑の問題を考えざるをえませんでした。それについて私見を述べておきたいと思います。 「... (つづきを読む)