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幕末

2016年、薩長同盟締結の地ではないかと、京都と鹿児島でのあいつぐ資料発見によって報道、注目された「御花畑屋敷」。今も、その直後の原口泉氏のコラムはまだネットでみることができます。 その後、京都におけ... (つづきを読む)

幕末, 未分類

今回も引き続き、佐野静代氏の論文「近衛家別邸『御花畑』の成立とその政治史上の役割 : 禁裏御用水・桂宮家・尾張藩・薩摩藩との関わりについて」(『人文學』同志社大学 2020年)の疑問点について書いてお... (つづきを読む)

幕末

今回も同じ佐野氏論文について、「一次史料」の取り扱いについての疑問を考えます。 氏は尾張藩との「御花畑」の関係性を示す資料を多数提示され、特に近衛忠煕の生母で尾張藩から嫁した維君の隠居所として天保年間... (つづきを読む)

幕末

おとせによる寺田屋再建時期を考える資料がありました。 「仁礼景範航米日記」は1866年の第2次薩摩藩留学生のうち、アメリカに派遣された仁礼が長崎出発から西暦1868年10月28日に横浜に帰着し、そ... (つづきを読む)

幕末

5回にわたって「寺田屋考」を綴ってきました。その成果を総括しておきたいと思います。 京都伏見の寺田屋は幕末におこった二つの出来事によって有名です。ひとつは文久2年4月におこった急進薩摩藩士が主命によっ... (つづきを読む)

幕末

はじめに 寺田屋が明治39年に再開してからの展開を中村氏は詳細に追っている((「寺田屋の虚実」『京都の江戸時代をあるく』2008年 文理閣))。 京都法務局伏見出張所に保管されている旧土地台帳(以下台... (つづきを読む)

幕末

寺田屋は船宿でした。船宿とはどんな様子で営業していたのでしょうか。 以下、参考文献をもとに寺田屋の情報も付け加えてお伝えしたいと思います。以下の文献を参考にしました。 <参考文献> 宗正五十緒「伏見船... (つづきを読む)

幕末

5 現在の建物をどう考えるべきか いよいよ、現在の建物そのものの変遷を時代順に考えてみます。 (1)慶応4年戊辰戦争直後の寺田屋建物 「歴史資料館報告」では、寺田屋の主要部分が焼損したことは確かですが... (つづきを読む)

幕末

3 現在の寺田屋敷地の来歴を考える 2007年に中村武生氏が現寺田屋についての考察を『京都民報』紙に「寺田屋伝説の虚実」として連載((現在は、中村武生『京都の江戸時代をあるく』(2008年 文理閣)... (つづきを読む)

幕末

はじめに 慶応2年1月23日の深夜から翌日未明に、京での薩長会談に陪席後、伏見寺田屋に一人帰り、三吉慎蔵と合流した坂本龍馬は伏見奉行所の捕り方に包囲されました。 部屋に踏み込まれた龍馬はピストル... (つづきを読む)