草津本陣を訪ねて

草津追分の道標

先日、社会科研究会で滋賀県の草津本陣を訪ねました。

草津本陣で面白かったのは、本陣の西側に川があり、それを西側の濠にして本陣が立地していたことです。川から引いた水路が本陣全体を取り囲んでいました。先のWEBサイトに最近書きました、新選組「不動堂村」屯所と同じつくりでした。屯所の西側には堀川がながれていて、そこから引き込んだ水路が矩形にめぐっています。

現在の草津本陣は幕末の頃に建てられたもののようです。総坪数が1305坪、建坪が468坪、部屋数が39あるとパンフレットには書いてありました。草津本陣の紹介ページです。https://www.city.kusatsu.shiga.jp/kusatsujuku/honjin/index.html

通常30人から40人が宿泊、畳廊下も利用すれば70人収容だそうです。敷地面積だけでいうと「不動堂村」屯所の半分ぐらいの規模です。当時、新選組の隊士は150人は超えていたといいますから、屯所は倍ぐらいの規模の敷地であっても手狭であったかも知れませんね。

おそらく邸内の設備は同じようなものであったでしょう。屯所の生活が想像出来る貴重な空間だとおもいました。

草津本陣(青く着色したところが水路)

本陣ももともとは軍の駐屯施設ととらえることもできます。狭い空間に多人数が駐屯することを考えれば、水路というのは不可欠なんでしょう。幕末、京都が政治の中心になり、各藩が多人数を京都に駐屯させるために鴨川の東に大きな抱屋敷を造営しましたが、東山から鴨川へ向かって流れてくる大小の河川の水を利用しやすかったからかなと思い始めています。WEBサイトでは京都衣笠に薩摩藩が幕末設けた小松原調練場の位置も推定しましたが、その調練場の東側も宇多野川という北山から流れてくる川筋を利用していたと想定しています。

草津本陣の図面が購入してきた草津市発行の冊子『0から学ぶ草津の歴史 宿場町』(草津宿街道交流館ブックレット① 2019.3)にありましたので紹介します。水路を青色で着色しています。このブックレット700円でしたがイラストも豊富な上に解説も秀逸でお買い得品でした。草津本陣に行かれた時には歴史ファンなら購入して損はない一品です。
なお、残念ながら、新選組の忘れ物はもう展示期間がすんでいて見れませんでした。悲しい。

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